fc2ブログ

女の子も英雄になれる(天は赤い河のほとり感想 その1)

宝塚歌劇・宙組
06 /17 2018
 先週、宙組「天は赤い河のほとり」と「シトラスの風 -Sunrise-」を観に行ってきましたので、まずは「天は赤い河のほとり」の感想です。


 この宙組版「天は赤い河のほとり」を、ハーレクインの文脈、つまり「強引に現実世界から連れ去られ、逃れられない状況の中でほとんどすべての登場人物に愛され、全く新たな人生の幸福を見出すに至る」(※注1)で読み解き、その結果、その割にはヒロインの心情部分が無さ過ぎる!と不満を感じられてる方も、いると思います。
(注1……かぎ括弧内の文は、「宝塚ジャーナル」の、以下のリンク先のページより引用いたしました。http://takarazuka-j.blog.jp/archives/1895838.html

 実際私も、上記の文脈で見るとしたら、こういうお話しの肝となる「ヒロインの戸惑い、苦しみ」の部分が無いよ?と思いました。

 でもこれ、ハーレクインではなく、「未熟な英雄が、苦難の末に王者として成長する」英雄譚として見たら、めっちゃ面白いんですよ!少なくとも私は大好きだ……!


 そもそも原作が、ハーレクインの形式を踏まえつつも、実は物語そのものは、英雄譚のスタイル――「英雄の家にこそ生まれていないが、実は優れた統治者、秀でた英雄の素質がある人物が、苦難の中でその才能に覚醒し、偉大なる王のパートナーとなる」で進行してるんですよ。

 英雄譚の肝は、なんといっても「最初未熟だった英雄の卵が、苦難のなかでどんどん才能に目覚め、危難を乗り越える」にありますが、原作の前半は、まさしく英雄ユーリの覚醒エピソードの目白押しだで、しかもどれもこれもが、わくわくする名場面ばかり。
 
 原作5巻、マッティワザに捉えられ、生きたまま獅子の放たれた闘技場に放り込まれたユーリが、逆に獅子を倒し、二人の乙女(リュイとシャラ)を従え「二人の女神を伴に、獅子を従える女神イシュタル」そのままの姿を現すところは、ユーリの個人的な武勇を示す英雄譚として鮮烈な印象を読者に与えるし(ここの逆光的なユーリの姿、最高にかっこいい!)、13巻から14巻冒頭、ヒッタイトがエジプト軍アルザワの同時侵攻を受け、カイルはエジプト軍と戦い、ユーリが一軍を率いてアルザワと戦うところは、指揮官としてのユーリの大活躍が輝いてます。

 このアルザワ女王とその娘アレキサンドラ姫のエピソードは、ユーリの現代人としての「男女平等」の感覚が、この時代の女の「女の身ゆえ仕方ない」という諦めや苦しみを解放する名場面でもあり、個人的にとても好きなエピソードです。ここはミュージカルにも入れて欲しかったな~。
 まあ時間的に無理なのは分かってるけど、アルザワ王女アレキサンドラ姫のエピソードはマジで見たかったよ……アレキサンドラは天彩峰里さんにやってほしかった……。「ふええ」って泣きながら星風ユーリに抱きつくみねり姫が見たかった………。

 私の妄想キャスティングはさておき、まじめな話、もしこれでユーリの性別が男性なら、「異界より来たりし若き英雄が、世界の乱れを治め、平和をもたらす」構造から、普通に英雄譚として「のみ」、認識されたと思います。
 しかし主人公が女の子になることで、同時に「ハーレクインとして」読むことも可能になるという、この二重構造が実に上手い。どちらでも選べて大変お得!

 ……お得はお得なんですが。
 二重構造を持っているということは、十二分にエピソードを書き込まないと、「どっちつかず」のリスクを背負っていることでもあり、それなりの描写の量が要るんですよ。現に原作は28巻もある。長い。超長い。けれど、ストーリーに全くダレが無いので、実際読むと全く長く感じない。
 それはやはり、1本のお話で、「故郷より連れ去られた少女の恋愛譚」と、「異界より召喚された英雄譚」という、2本分のストーリーをやっているからだと思います。

 とはいえ、漫画なら発表媒体があるかぎり長く発表することは出来るけど、その内容を1時半でやるのは、いかにもつらい。ていうか無理。

 そこで何かをバッサリ切らないと行けないのですが、恐らく今までの宝塚なら、「異界にさらわれた無力な少女」の方をクローズアップしたと思うんですよ。そしてその少女を守るカッコイイトップ男役とのラブロマンスにしたと思うんですよ。

 そこを敢えて、ハーレクイン要素をバッサリ切り捨て、英雄譚にする。

 この小柳先生の決断、私としてはほんと嬉しい。おかげで、宝塚というハイクオリティの表現集団で、大好きな英雄譚を見ることが出来たんですもの……!

 しかもただ英雄譚にするのではなく、1時間半に詰め込むために、主人公をユーリではなく、もうひとりの英雄カイルにしたのが上手い。
 私も小柳脚本ではじめて気付いたんですが、この物語、実はカイルを主人公にしても結構いける。全然いける。めっちゃ面白い。

 まずカイルの設定が素晴らしい。物語的な意味でポジションが絶妙。実はユーリよりも断然危ない立場に居るっていうところが素晴らしい。

 え?カイルがユーリを守ってるんじゃないかって?

 いやいや、むしろカイルの方が大ピンチですってば。「優れた王になる力があり、人望もあるのに、まだ次の王という正式な認可は無い」だなんて、どう考えたって一番のデンジャラスポジションでしょ。あれはカイルがユーリを守ってるっていうより、「大ピンチを共有する同志が一緒にいることでピンチを凌いでる」が正解。

 歴史ものをあんまり見ない人は「カイル王子は人気あるし実力あるし、もう結構即位も近いんだろうなあ」と思うかも知れないけど、逆ですから。マジで逆ですから。
 まず皇太子にとって、声望と実力のある三男なんて自分の地位を脅かす恐怖の存在だし、ましてや皇太子を追い抜いて我が子を王位に就けようとする王妃にとっては更なる脅威だし、なんなら現国王にとっても脅威。リアル中国史だったら、まず父親が息子を抹殺しにかかるレベル。
 奇しくも宙組オリジナル展開部分でティトが言ったように、「この方に早く即位して欲しい」という民の名声は、現国王にとって一番の脅威なんだってば……!小柳先生は歴史のリアルあるあるを使うのが上手いなあ。

 そんなリアル中国史だったら開始10分で粛清されるであろうカイル王子ですが(この物語のヒッタイト帝国が、そこまでシビアでなくてほんと良かったよ……)、自分を殺すために呼び寄せられた少女が、女神イシュタルの名声に叶う行動力を示したおかげで、ますます声望が上がる……って、だから声望が上がったらますますピンチになるっての!
 正式な王位がまだ約束されて無いのに声望が上がると身の危険が増す。これテストに出ないけど要チェックな。

 というわけで、当然の如くナキア王妃が実力行使に出て、カイル王子はピンチに陥り、一緒にいたユーリも当然ピンチになるのですが、そこでふたりを身を挺して守るのが、カイルに命を賭けてもいいとほどの愛情と恩義を感じてる人々、という展開が泣ける。超泣ける。ザナンザの最後も泣けるし、ティトの最後もほんと泣けるわ……。

 しかもティトの命を賭けた行動が、カイルのクルヌギアからの奇跡の脱出、更にはエジプト軍との戦いに勝利するための秘密(製鉄技術)を、カイルが手にする伏線になるってのが泣ける。
 民を守るために勝利すらも手放し、マッティワザにその甘さを嘲笑われたカイル王子ですが、そのカイルの優しさが、彼を地獄から救い出し、国を救う原動力になるっていうろころが、ほんと胸熱展開でたまらんですよ……!こういう他キャラに「そんな甘さが」「そんなことではダメ」と言われているポイントが、最終的に復活や切り札になるって流れ、めっちゃツボ。大好き。



 英雄譚は英雄が主人公のものがたりなので、リアリティや共感の観点から言うと、読む時に、ちょっと目をつぶらないといけない部分がある。「私たちのような平凡な人ではない」人が主人公だから、優れた英雄譚ほど、「そ、そんなことが出来るんですか……?!」みたいな出来事が、次々起こるからだ。だから読み手も、「そ、そうか、後で凄い英雄になる人だから、これぐらい出来るんだな!」という気持ちで見る必要がある。

 とはいえ、そんなむずかしいことではない。例えばカイル王子の聡明さ、行動力に対し「ぬくぬくと王宮で育った王子様が、誰も帰れないクルヌギアから、本当に戻ってこれるの?無理じゃないの?」と茶々を入れる人は、あまり居ないだろう。英雄譚を読む時に必要なノリは、つまりはこういうノリのことだ。最初から「この人は後に英雄になりますよ」というマーキングがしてあるキャラに対し、読み手はその奇跡的な行動力に対し、自然とツッコみを入れないようにしている。

 けれど女の子に対しては、「急に異世界に行ってそんなにすぐになんで馴染めるのよ」「そんなに活躍できるはずがない」と、突っ込みがはいる。女の子は、女の子という理由で、英雄枠にはなかなか入れて貰えないのだ。

 むしろ現実の女の子の方が、その凄さを讃えられ、英雄として認定されているかもしれない。世界で最も優秀であると表彰されたサッカー選手、世界大会で前人未踏の十三連覇を成し遂げたレスリング選手……。彼女たちだって、そうやって褒め讃える前は、普通の女の子のひとりだった。才能を開花される環境に置かれ、努力した結果、彼女達は英雄になった。
 同じように、鈴木夕梨がなぜ英雄として認識されてはいけないのだろうか?

 異世界に飛ばされることとオリンピックの優勝では次元が違う、という突っ込みもあるだろう。正直私も、今回の論の組み立ては、かなり粗雑だとは思っている。
 けれど、異世界に単身飛ばされた女の子が逞しく生き抜くことを不自然とするのではなく、「この子は後に英雄と言われるような子なので、実はとっても凄い子なんです。だからこうやって逞しく生き抜いているんです!」と、堂々と語る物語があっても、そろそろ良いんじゃないかと思う。

 先日、とあるアニメで「男の子だってお姫様になってもいい」という台詞があったと聞いた。
 女の子だって、英雄になっていい。なれるだけの力がある。そういうメッセージを発信する物語が、もっと増えてもいいと思う。そして宝塚歌劇団が――女子が愛するこの劇団が、その発信源のひとつになってくれたなら、それは本当に前向きで良いことだと、私は思う。

 束縛され、自由を奪われた女性達を慰める物語も、まだまだ日本には必要だ。日本には無数の小ナキア、小ネフェルティティが、それぞれの家庭の中で嘆き暮らしている。
 だがそれは、女の子の英雄譚としても語ることができる「天は赤い河のほとり」の役目ではないと思う。

 先日、上田久美子先生が「BADDY」で高らかに娘役に怒りを叫ばせたように、娘役トップが、ヒーローとして活躍し、時代を動かす話が、これからはもっと増えてほしい。

 だから私は、敢えてハーレクインの路線をバッサリ切り落とした小柳先生の英断に、全力で拍手を送りたい。英雄カイルと並び立つ英雄ユーリの姿を描いてくれて、ほんとうに嬉しい。それになんといっても楽しかった!

 ……というわけで、拍手替わりにブルーレイ買いました!今度劇場に行った時に、この公演の写真も買うね!ユーリの写真全買いしてえ……!


 褒めるばかりだとなんなんで、最後にちょっとだけ文句ポイントも書いておこう。

 英雄譚大好き人間から見まして、宝塚はやはりこういう「娘役が物語を動かす」内容はまだまだだ少ないせいか、今作の英雄譚としての完成度はいまいちだったと思います。全体として荒削りで、恋愛をメインにするのか、英雄譚をもっといかすのか、そこのところがちょっと曖昧に感じました。ただまあ、まだまだ娘役が物語を引っ張る話は少数派なんで、これからのレベルアップに期待です。

 話すタイミングが上手く入れられなかった敵役や、個々のジェンヌさんのついての萌え語りは、次回の感想に回したいと思います(ちょっと待てまだ語るんかい)(すみません赤い河感想は次回で終わる予定です)(たぶん)。


コメント

非公開コメント